好きな人間の話をさせて

好きな人間に会った。たぶん先生って言ったほうがわかる人もいるだろうし、もうわかってくれる人もいないかもしれないけど。
先生を好きな人間と表すようになったのはいつからだっけ。


1年半ぐらい前、就活をしていた私は地元で就職をして、社会人2年目をしています。
想像していたよりずっと気楽に働いているし、就職してよかったなあなんて思えています。成長したみたいです。好きな人間の誕生日を理由に連絡をしなくなったくらいには。



地元に帰ってきて好きな人間がすぐ近くに存在するということを1年ぐらい前の私は実感していて、逃げたくて会いたくて逃げたくてどうしようもなくなったことも数えられるぐらいにはある。
会えるチャンスに会いに行かなかったときに、この機会は頑張っている報酬であって、まだまだ頑張りたいし頑張れるから会いに行かなかった、ってどこかのSNSに書いたっけ。


それから1年が過ぎて好きな人間の誕生日になって、会えるチャンスがまた生まれて。迷わず駆け寄ってしまった。
この1年で好きな人間の車に一瞬で気づくことのできる人になった。

おめでとうを伝えると、久しぶりと返ってきて、おめでとうともう一度伝えると、もう過ぎたよと返ってきた。その成り立っていないようなやり取りすら求めていたものだったようにも思う。
まだTwitterをやっていたころから少しずつ彼が悩みのような逃げのようなマイナスな部分を見せてくれるようになっていたように思うのだけど、今回もそうだった。いつでも私のマイナスを聞いていてくれた彼が悩みのような逃げだと思っていることをさらっと言葉にしてくれた。話よりもそれを伝えてくれていることが嬉しくて、そういう関係になれていたんだっけという驚きもあった。すぐに誤魔化されてしまったけれど、もっと聞かせてくれという気持ちしかない。
彼と出会って11年が経って、関係がとてもいい方向に変わってきていてすごくすごく嬉しいという話。


私はいつのまにか成長しているし、「続けていたらなにか見えてくる」って彼が当時の先生が教えてくれたこと、生きるってことを続けてたら見えてくる世界も考えも価値観も私自身もいろんなものが見えている。続けるって難しいけど、時間は勝手に過ぎていて、するを今日も明日も来週もしていたらいつのまにか続けるになっていた。
私は10年前にもらったこの言葉をずっと大切にするだろうし、彼が好きだということを人生をとおして証明したいと思っている。

10/21

この私が23歳を目前にして大学4年生になって、周りより1歩も2歩も、なんなら4歩ぐらい遅れていわゆる就職活動を始めた。
いわゆるというほど気合の入ったものでもないし、準備しているわけでもなく、とりあえず3社にESを出した。
書き方のコツも他者からの添削もなにもなしに提出して、明日は筆記試験の日。

受験会場のある地元までのバスの中、どうして就職活動をしているのかわからなくなってしまった。
なにがやりたいとか、働きたいとか、正社員になりたいとか、そういう気持ちが無いのではなくわからない。そういう感覚がない。
私のことを愛してくれている両親が正社員としての就職を望んでいるからそれが正しいと思っているに近い。
でも失敗するのは怖いし、そうならないための努力は知らないし、なによりそんなものに囚われない私を続ける。頑張れない自分を認められず、隠そうとして、頑張らないに着地して、どうしようもないループにはまる。

もっともっと素直に生きることができたらどれだけ得していただろうか。吸収力のある努力のできる生き方ができていたらどうなっていただろうか。
そんな考えてもどうにもならない、ならなかったことばかりが溢れてくる、日々。



甘えて続けていきたい。
後ろ向きではないなく、前向きに。
泣いて過ごす毎日よりも甘えてそれなりに過ごす毎日がいい。きっと甘え続けるという選択にも頑張りは必要で、覚悟がいることで、そういう点で前向きに選択したいと思っている。


甘えている自分をうまく肯定しているだけに聞こえてしまうので悲しいし、きっとそれは図星すれすれの事実。

7/15

 頭の中がごちゃごちゃになって、どうしようもなく涙が零れてしまう。

なにを考えているのと言われてもそんな時はなにを考えているのか、なにがごちゃごちゃと頭を埋め尽くしているのかもわからない。

 

昨日の夜もそうだった。

 

3か月のインターンをしていて自分自身が今まで目を背け、逃げ続けていたことに向き合っている。でも向き合ってはいない。向き合わされる環境にいる。

指摘され続け、それをより良くする方法を教えていただける環境。

ただ、理解して自分の中にはあるのに行動に結びつかない。

それが悲しくて仕方なくなる。

 

理解しているのにできない、なんて意味が分からないと思いながら生きてきた。そんなことなんて何度も経験しているし、いくつも、いくつも私の中にはあるのに。

常に苦しいことからは逃げたいと思っていて、逃げられないのならば死んでしまえばいいとすら思う。

理解しているのにできないことなんて本当にたくさんあって、0→100なんて無理なのはわかっている。ただ意識して0→1、0.5にでもすればいいのに、意識すらできない。どうして意識すらできないのか、私の頭と体と行動するための私の頭が繋がっていないようにも感じる。

 

自分の感じていることが信じられない。

どうせ自分が得したい、逃れられる、甘えたい、認められたい、そんな気持ちが裏にはあるんでしょ、と。

 

 

ずっとこんなことを言い続け、考え続けている。

これだって結局は私ができない理由を並べているだけだ。

 

 

どうしようもない私は、どうしようも、本当にどうしようもなかったことを実感している。

 

 

 

 

 

4/29

自分の文章を書かなくなった。

書かなくなったというよりか、書けなくなった。
長い文章を書きたいとは思うものの。

言語化するほどの感覚や考えを持たなくなった。
薄っぺらいとういほどでもないが、薄い、生活しているだけの感覚と考え。
よくないことをだらだらと考えないという点では、すごくいいことなのだけど少し寂しい。


この社会の中で私は普通にバイトにも入れてもらえているし、インターンの話も進んでいる。
自粛といいながらも寮生だから友達とも当たり前に遊べる。
変化と言ったらよく手を洗うようになって、消毒をするようになって、顔の半分しか化粧をしなくなった。自分の体温が36.3℃だと知ったことぐらい。

周りはオンラインでミーティングやごはんをしているけれど、バイトでタイミングが合わないことが多いし、正直身近で満たされているから参加したいという気持ちも薄い。
ただ、もっと考えたい。頭をつかいたいな、と日々感じる。




しあわせとモッコウバラに顔をうずめて呼吸する


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12/30

もう年末らしい。
タイトルを入れるのに「12/2」まで書いてやっと30日であることを再確認した。

「今年を漢字1文字で表すと?」
年末恒例の質問のようなものをされた。
去年もされた気がするけどなんと答えたかも覚えていない。

私の今年は「詰」だなと思う。
詰まるというよりも、ぎゅうぎゅうといったところ。

正直、11ヶ月も前のことなんて大して覚えていない。
ただここ最近、下半期はとにかく詰まっていた。
なにかと。大学が週3になったと思ったら急に忙しくなった。
学外での活動が増えて、相変わらずのバイトと、寮のこと。
スケジュールを振り返ってみても空白の日がほぼなくて、逆にぱっと目につく。

良く言えば、すごく充実していた。
本当にたくさんのことを経験した。
1番分かりやすくインパクトのあるものは「パワハラ」という言葉を向けられたことだろう。
その言葉自体からなにも感じられなかった私は、またどこかで同じ言葉を投げかけられる可能性が高いなあと思う。
悪く言うと、余裕がなかった。
しなければいけないことはきちんとできる人間だったはずなのに、できないことが増えた。多かった。
自分のキャパが分かるようになろうと思う。

まあ出来事は良くも悪くも勝手に私が覚えてくれている。
思い出すのは難しいけれど。


今年の目標は
「謙虚・努力・いい女」 だった。
まあ見事になにもできていない。
できていなくても今年は成長できた1年だったし
気にしないでおこうと思う。


来年決めていることは、家計簿をきちんとつけること、1ヶ月のインターン頑張ること。
月1の目標も再開したい。
また明日からバイトの日々が始まる。
来月は東京に2回も行くし、主催しているイベントも、大きな報告会もある。しっかりと乗り切ろうと思う。

今までよりも少し広い世界を見てみても
やっぱり、世界は悪いことばかりじゃなかった。

11/3

私の周りには自分の言葉を
身近な人たちに伝えようとしている人が多い。
ブログやnoto、instagram
いろいろなところで感じたことを言葉に込める。
 

そんな人たちが少し羨ましい。
私はこれまでブログやinstagram
いろいろな気持ちを言葉にしてきた。
でもそれを身近な人たちには伝えられずにいる。

羨ましいのは発信できるところじゃなくて
伝えられる人がいることであり
伝えたいと思える気持ちでもある。

このブログをいつかはだれか身近な人に
知らせることになるのかもしれない。
きっとそのときの私はもっと自信家になっていて
表現の愉しさをわかっている人に
なっているだろうね。


運営側として参加したあるイベント。
終わった日から次々とそれに参加した人たちが
言葉を紡いで、発信していた。
私はなにもできなかった。
感じたことはたくさんあるし、
伝えたいことも残しておきたいことも、
たくさんたくさんあった。
たけど言葉にすればするほど、偽善のようで、
誰かの真似事のようで嫌になった。
 

私が私らしく、誰かに伝えられる言葉を紡げるようになるのは
まだまだ、まだ、先のように思う。 

10/4

なにもしないまま空が赤くなって
暗くなっていくのを感じる日。

大学は3年生の後期になって
卒業単位も取り終わるし
木、金曜日を全休にした。

そんな全休2回目の金曜日。


資格のための勉強はしに行くべきだし
ボランティアの集まりもあったのに
こんな時間までまだ部屋にいる。
外に行きたいから、朝起きて
お化粧をして可愛い服を着た。

でもまだ部屋にいる。

なにもしないまま空が暗くなる。