新生活

新生活が始まってもう2週間が経とうとしていて、始まったばかりだったはずの春が過ぎ去ろうとしている。時間の流れが速すぎて立ち止まりたくなる。逆らいたくなる。

入学とともにずっと暮らしてきた家を離れた。不安でたまらなかったはずなのに、いざ離れると案外平気で自分でも驚いた。田舎だった地元ととあまり変わらないはずの新しい土地だけど、やっぱり地元が好きだなと感じる。この土地を知れば知るほど帰りたくなってしまう。
大学生活は思っていたよりもいい意味で単純だった。自由だと思っていたけれど単純という言葉がしっくりくる。一緒に過ごす人ができたり、顔を合わせるたびに声を掛け合う人ができた。名前を覚えられないのはどうにかしたいかな。1人の時間もきちんと作ることができるから、少しでけ疲れる他人との時間も楽しく過ごせる。

入学式だったりオリエンテーションでたくさんの大人の話を聞いて、どういう風にしたいかが少しだけ見えたようなつもりでいる。この感覚が久しぶりですごくいい方向に進めてるのかなと思う。
これからしばらく続くこの生活の中で自分の事をもっと、もっと知りたい。好きなものを好きな理由を言えるように、考えていることと出てくる言葉がぴったりと一致するように、やりたいことをできるように。立ち止まりたいが早く先に進みたい、未来を見たいに変わるように。

寝ようとしてから眠るまでの時間にいろんなことを考えて眠れなくなる。
私はすごくすごく恵まれた環境にいて、今はマイナスしかない出来事もおこらない。なのになんでこんなに苦しいふりをしてるのか、苦しくならないといけないのかわからない。生きるのが下手とかそういう問題だったり、そもそも私自身がそういう人なんだと思う。こんなにも恵まれていて、それなりにいろんなことができる私を苦しませるのはやめようよ。苦しいふりをするのもやめたい。ふりで1になった苦しいはふりだとしても増えていく一方だ。本当にだめ。眠ろうね。

明日も

最近春休みになった友達とよく遊ぶ。私の周りは地元を離れてる人が多くて、帰っている期間中という期限がつくと、会おうねが会いたいに変わる。本当に気を使わない人ばかりで一緒にいるときは、いつだって笑顔ばかりだ。楽しくて安心できる。

私の周りの学生はだいたい夢だったり目標があってなにもない私が少しだけ虚しく感じたりする。同い年の人とは学年的に1つ違っているのだけど、学年だけじゃなくその他でもおいて行かれているなとも感じる。カウンセラーをやっている人に「夢や目標がなくても今を生きてればそれでいいし、他の人が持っていても、求められても気にしなきゃいいよ」と言われた。気にしても意味がないのはわかっているから、気にしたくはない。だけど小さな頃から大きくなったらなにになりたいですか、将来の夢はなんですか、目標をたてましょう、なんて言われて先のことばかり考えさせられて育ててもらったら気にしないなんてできないよ。どうしたらいいんだろうね。

誰かと一緒にいるときが楽しければ楽しいほど、1人になったときの寂しさが増す。まずは未来なんかよりも今のこの寂しさから逃れたい。明日がくるのは嫌だけど、明日になればまた友達と笑い合えると思うと早くなってくれと思う。
私に楽しさをくれる周りの人を大切にしたい。昨日も今日も楽しかったように明日ももっと楽しくなるといいな。

無限ループ

特急列車がくるのにホームから落ちたいなとか、ホテルの火事に巻き込まれてしまいたいなとか、VXガス体験してみたいなとか、不謹慎なことばかり考えてしまうときがある。事故で誰かが亡くなってしまうニュース見て心が痛む経験はしたことないのに、こんな風に考えることはよくある私はそういう人なんだと思う。自分でどうにかできるくらいの勇気がほしかった。他人と比べてしまえば、なにもない時間を過ごしているのにどうしてこうも逃げたく思わなくちゃいけないの。1度そう考え出すと簡単には抜け出せなくなる。考えはどうにかしようには向かずに、どうにもならないの方向にしか進まない。とことんどうしようもないね。どうにかしたくないだけかもね。眠れるまで抜け出せないループを繰り返す。

仲良くしている人が煙草を辞めた。だからなんだという話なのだけど、辞めた理由が彼女のためでそんなもんだったんだなと思った。大切な人のためなら大好きな煙草辞めちゃうんだなって、それしか考えられなかったんだなって、彼女は辞められなかったみたいだけどね。好きなものは好きなものと交換できる人だったのだと思った。ただのやきもちかもしれないけど、私の好きを増やす理由が一つ消えた。
昔から好きな人の好きなものを好きになりたくなる。憧れてしまう。音楽も写真も映画も小説もなんとなく影響受けてるなと感じる。好きな人の好きなものが私の好きなものになる。ただその人がそれをやめてしまったとき、好きでなくなったとき、好きな理由がなくなる。好きな理由がなくなるって寂しい。自分の意志っていうのもはないのかな。もうよくわからないね。誰にも譲りたくないものが欲しい。好きな人のためでも、大切な人のためでもなににも譲れないものを持っている人が欲しい。

思っていることを整理したくて言葉にしてみるのだけど、完成した文章はいつもいつも自分を正当化しようと必死な文章になっている。自分と誰かへの言い訳ばかりの文章になる。
誰かに認めてもらえればそれでよかったはずなのに、次は求められたくなってしまった。君はもっとできる人だよ、と期待されたくなった。私の普通を他人の普通以下にしたのは私自身なのだけど、意味の分からない人並み以上を求めてしまうプライドが普通以下を嫌ってしまう。

ちゃんと生きたい自分より楽したい自分の方が大きくて、いつになっても勝てそうにない。変わりたい自分より変わらず楽したい自分の方が大きくて、いつになっても勝てない。楽したい自分を周りに承認させてしまったから、それが一番よく思えてしまう。
自分の価値観をもってて周りに左右されなかった私はいつの間にいなくなってしまったのだろう。周りからの評価ばかりを気にして、ふらふらしてしまう私はいついなくなるのだろう。

自分にルールを課してそれだけはきちんとしてみようと思うのに、それすらできなくて失敗が重なっていく。そうなるとマイナスがたまって、プラスのない自分が見えて苦しくなる。どうしたらいいのかわからない。どうしてこんなに頑張れないのだろう。
自分で認めてあげられるぐらいちゃんと生きたいだけなのに。自分がなりたい自分にも、周りが求めている人にもなれない。

前向き

誕生日を迎えてまた1つ歳をとった。迎える予定のなかった19歳になった。それでも日常も私自身も何も変わらない。18歳が終わることのなにを恐れていたんだろう。当日にはたくさんのおめでとうをもらって、まわりに支えられていることを実感した。生きていられてよかった。

「誕生日は産んでくれて育ててくれてありがとうを伝える日だよ」と私がまだ小さいときに母が言っていた。祝われるばかりの日だったのに、いつのまにかきちんと両親に感謝できるようになった。まだ私は両親に心配ばかりかけてしまうし、私の考えで傷つけてしまうこともある。それでもいつだって愛してくれる両親に少しずつ愛を返していけたらいいな。

少しずつ自分を好きになれていて、認めてあげられるようになった。まだ自分自身がわからなくて困ってしまうけれど、少しずつ向き合っていきたい。

今は少し気分が落ちているけれど、なぜか前向きに考えられる。元気になったら、最近触れていないカメラでたくさんの写真を撮りたいし、本もたくさん読みたい。大切な人に進学の報告もできたらいいな。