2/12

歳を聞かれて無意識に「じゅ〜…」と答えようとしていた。18歳で死ぬ予定だったのに20歳になった。1つ歳をとったからって突然変わることなんてなくて、強いて言うなら国民年金の封筒が届いたくらい。私は私らしくしか生きれないことをやっと受け止められるようになった。私は私らしくやろうね。

最近は新しいバイトを始めて、後期のテストがあって、また新しいバイトを始めて、ととても忙しかった。ただ忙しいほうが無駄に何かを考え込む時間もないし決まった生活にメンタルも安定する。バイトを頑張る理由なんて単純にお金だけど、お金のためにここまで頑張れるものなのかと自分に感心してしまう。寂しいことだけれどそんなもんだ。
3月には2つの写真展に参加する。義務感で写真を撮っている感じもするけれど、やっぱり写真が好きだし楽しい。この2つの写真展を通してより自分としても、写真も成長させられたら参加する意味をより明確にできそうだ。

春休みがあと1ヶ月半ぐらいある。バイト簿記バイトバイト簿記写真展みたいな生活で充実させます。来年度はこの春のバイト代で、大好きな人たちに会いに東京に遊びにいくよ。まっててね。夏は友達の地元の沖永良部と沖縄に。冬は京都に。今しかできないことをたくさんやりたい。

12/31

この1年は人に恵まれていたなと思う。4月前は実家を出るのが不安で、学費をかける価値ないよと思いながら大学に入った。でもそのおかげで楽しいときも辛いときも誰かがそばにいてくれた。周りに支えられていることを実感できた1年だった。
2年半ぐらい仲良くしてくれていたネットの人とも、大好きだった親戚のおじさんともセットだった友達ともお別れした。彼らはみんな優しさをくれていたことを実感した。今年の目標は優しさを持つだったけど、わがままなまま過ごしてしまった。これからは彼らみたいに優しさをあげられる人になりたい。
これからいろんな資格に挑戦しようと思っている。そのための講義もとっているし、資格の学校にも通っている。バイトも増やして、これからもっと頑張れるようになる予定だ。
優しさを持って、メンタルも人としても安定できるようにしたい。
そろそろ大好きな人も見つけたいな。

12/2

苦しい日々が続いているように感じる。本当は辛いこともなくて、友達と毎日しょうもないことで笑えるような日々なのだけど、なぜか苦しいと思ってしまう。
眠れない日が続いて、メンタルの不調が体にまで出てきてどうしようもない。辛いことや問題があれば誰かに相談したり、逃げたりすれば解決するのだけどそんなものもなにもない。
恋人や友達が相談してね、なんでも言ってね、と助けようとしてくれるのだけど、どうしようもないので優しさがプレッシャーのように思えてしまう。
他の人もこんなに苦しくなったり、もっと大変な日々が続いていたりするのに、全くそんな素振りを見せない人はどうやって生きてるのだろうと思う。私もそんなふうになれるはずなのに、なれないのはやっぱり弱さなのかな。比べなくていいのに他の人と比べることしかできない。

もうあと3週間もすればあたたかい甘やかしてくれる実家に帰ることができる。早くこの苦しさと一緒に12月は走り去ってほしい。

11/21

先週からの憂鬱と、それに続いてきた大好きな友達の訃報。メンタルをやられながら直後に検定試験。何とも言えない1週間、忙しいのにすごくすごく長く感じた。

すごく落ち込んでいて地元に帰りたいと言っていた月曜日。日付が変わる少し前に友達の訃報が入ってきて、帰る口実ができてしまった。つい1ヶ月前に「お正月に会おうね」って約束した大好きな友達にまたねって言うことができた。返事はなかったけどね。
中学の頃、彼と私は2人でセットだったらしい。たぶん1番長く一緒の時間を過ごしたし、私の1番の理解者だった。そのぶん後悔することがたくさんある。私のことをすぐそばで見守っていてくれていた彼を、もっとちゃんと見て支えておけばよかった。たくさんの優しさや思い出を集めようとしたけれど、全然目に見えるもので残っていなくて苦しかった。
いろんな人に「ちゃんとさよならするんだよ」「ちゃんと離れなきゃだよ」って言われたけれど、結局またねって約束しかできなかった。彼がくれた名札と第二ボタンもずっとそばにおいている。成人式は一緒に行く約束をしたから、終わったらきちんとさよならしようと思う。できるかはまあわからないけど。
悪すぎることが起こったけれど、すごくすごく久しぶりに生きたいと思えた。すごくすごく久しぶりに長く生きてもいいなと思えた。彼にはあと50年ぐらい後悔しながら私のことを待っててほしい。

夏休みの楽しみを我慢して受けていた資格講座がやっと終わった。試験前の5日間は勉強しなかったし、おそらく合格はまた次の試験まで持ち越し。受かる確率3%ぐらい。27にわかるから、それからまた頑張る期間が始まります。

今月はなんだかいいことがあんまりないし、言い訳する悪い癖が元気なので後戻りしてる気分。また来月からちゃんと生活しなきゃ。
今年ももう残り1ヶ月で今年の目標なんて全然覚えてない。どこかに書いてあるはずだから1ヶ月やれるだけやろう。ちゃんと生きなきゃ。

私は私だと思われたくて、それでどうにかしてほしかったけど、最近は本当にそんな風に思われて認められて少し複雑。よくないことをしても君だから仕方ないし、それはそれでいいと思うよなんて言われて、言ってもらってこんなんでいいのかなと思う。ないものねだりとは違うって言いたいけどただのないものねだりでわがまま。悪いなとわかっていても辞められないことばかりで、やらなきゃいけないなと思ってもやらないことばかりで、それでも私だからって逃げて、その逃げさえも私らしさで認められる。まわりに甘やかされてるし、理解されてるし、想われてる。私は私らしくいたかったけれど、私って何なんだろうね、私は私でしかないって考えられるようになってからどんどんその私から変わっていく。

10/11

どうしても気持ちの整理がつかないから少しだけ文章にしてみる。

あれから100日とちょっとが過ぎて、一緒に誕生日おめでとうをする前におじさんがいなくなってしまった。母は私のために連絡しないでいてくれて、お葬式にも帰れなくて、最後に話したのは夏のままだった。 そのせいか実感がわかない。涙はでてきても地元に帰ればいつもみたいに突然家に来て、特に何をするでもなくそこにいてくれるように思う。「ネクタイ結んでくれー」って着慣れないスーツなんか着てやってくるはずなんだけどな。私の知っているおじさんはいつだって笑顔で、自然と私も家族も笑顔になれた、してくれていた。最後に病院で会った時も笑って「またね」をした。不器用だけど優しさの塊のような人だった。おじさんのおかげで家族の優しさを改めて知れた。死という近くて遠い、遠くて近いものを考えさせられた。忘れるなってことなんだろう。

これから地元に帰るまでは実感がわかないまま時間だけが過ぎていくのだと思う。実感はなくてもおじさんが教えてくれたことはしっかりと考えていきたい。そのへんをフラフラしてるはずだから、少しだけ気を引き締めよう。いつでも帰れるようにさぼらないようにしていた講義も、この理由はなくなってしまったけどきちんと行く。

今の頑張りは必ず前に進む1歩になる。

 

9/28

このブログを初めて1年が過ぎたみたいで、時間の怖さを感じる。この1年ですごくたくさんの変化があったように思う。
去年の秋には知らなかったコーヒーの美味しさと煙草を知った私は、この2つと秋の夜との組み合わせが最高なことも知った。2つとも好きな人たちが好きだからって始めたものだけど、コーヒーはいつのまにか私の好きなものになった。

8月の終わりに資格講座が始まって、毎回少しずつ前に進めているような気になっている。後期の授業ではまた別の資格を取るための講義を取っている。この夏、やりたいなとなんとなくだけど思えることを見つけた。それに向けて動きたいのだけど、いま取ろうとしている資格とは別方向にあるようなもので私は何がしたいのかよくわからない。どこを目指すのが正解か教えて欲しい。正解なんてないよ、と言われるのが落ちなのだけどね。

環境が変わって、私自身も変わって、変わることを実感する怖さが減った。やっぱり前の私も好きだし失いたくはないけれど、それでも人は変わるものらしくて、良いことらしいから変化を楽しめるようになりたいなと思う。この秋がすぎたらきっと私はまた変わっているし、これからどんどん変わっていくんだと思う。
悪い方向に行ってもそれを大切にできる私でありたいな。