9/19

眠るまえの煙草を吸いにクーラーの効いた涼しすぎる部屋からベランダに出る。まだ夏が残る生ぬるい湿気のある感じと秋の涼しい風が吹く。

窓を開けた瞬間、すごく誰かの体温が恋しくなった。私が居なくなって誰もいないベットで携帯の充電ランプが光っている。
1人のベッドにいると涙が溢れてきたりする。


最近の私は真面目に生きるなんて言って、男の人に温もりを求めるのをやめた。といってもその前もそんなつもりはなかったし、そこまで応えてもらったこともないのだけど。
少し前までの私は生きたくないと思っていたはずなのに、生きよう、生きなきゃ、生きたい、真面目に生きる、なんてどんどん変化していく。たまに戻ったりもするけど、死にたい生きたくないと思うのは瞬間的なものになった。


過去なんて、未来を見よう、そんなふうに言う人もいる。無理に未来を描こうとしたりもする。だけど小さい時を除けば私が未来を見られるようになったのなんて、ここ最近の話でそんなにうまく思い描けるはずもないことに今更気づいた。それに私にとって過去は今の私を築いたすごく大切なものだ。Twitterやブログに残すことも好きだしね。


大切な人がいることのありがたさを感じられるようになって、家族の暖かさを感じられるようになって、大学に来てその家族の元を離れた。他人が集まっているはずなのにいつだって暖かく迎え入れてくれる寮でたくさんのいいことがある。大学での友達もできた。
環境は私をどんどん変えていく。変わることはやっぱり少し怖い。私とは違う人に合わせるのは疲れるけれど好かれたいと思うし、普通なんてわからないけれど普通に生きたいし暖かさを感じさせられるような人になりたいと思う。


なんてまとまりのない文章なんだろうな、
明日は昨日来た留学生にまだ1年半しか過ごしていない鹿児島を案内して、いつもどおりバイトに行く。かわいい留学生と仲良くなるが楽しみだし、お弁当を作ってきてくれたバイト先の人にも会える。


ベッドに入って眠ろうとすれば少しの時間で眠れるようになったことが幸せ。
眠るためにラベンダーの香りにしたお部屋で今日もすっ…と眠るよ。 

9/17

メンタルのゆらゆらが嘘みたいになくなって、気持ちのいい朝をすごしている。

昨日か一昨日かに、自分の中での大きな過去の出来事みたいなやつを話してみたら、過去は過去じゃん未来でしょ(たぶん私の捉え方が極端すぎた)みたいな相手の考えを述べられた。そのときはそういう考え方もあるよね、でも私はこうだよってすごくいい感じに整理できていたように思えていたけど、次の日を迎えたらすごくもやもやしてどうしたらいいかわからなくてなんともいえないゆらゆら感があった。
でも結局そのゆらゆらは友達に受け入れてもらうことでどうにかなった。そんなものか私はとは思ったけれど。「結局自分が求めてた答えがその人から出て来なかったのが嫌だったんでしょう?」そう言われて反論はしたけどそうでしかなかったのかもしれないと思ったし、きっと言ったとおりだった。

結局私は私を自分で認めるふりをして、私らしさなんて言葉をつかってみるけど、誰かに認められたくて、理解してほしいんだ、と改めて感じた。いままでもずっと感じて理解していたはずなのに、認めるふりをしているとだんだん自分を肯定できてるように感じてしまうらしい。私らしさなんてものはすごく面倒くさいのかもしれない。

8/31

流れる秋の雲とまだ少し強い日差しの下で、先週行った沖永良部島で日焼けした腕がまた焼けてしまうななんて考える。季節はどんどん秋へと変化していく。数年前まで嫌いだったはずの夏を今年は嫌いだと思わなかった。 
少しずつ変化する季節の5分の1ぐらいの速さで私も変化しているのだと思う。

平成最後のこの夏に私はたくさんの忘れ物をしてきたように感じる。
まだ夏になり始めたばかりの頃の東京や、自己探求イベントで感じたことはもうほとんど私の中に残っていないし、残っていたはずのものは私らしさみたいなものに影響されて変わってしまった。
お盆の帰省も沖永良部での思い出もついこの前のはずなのにすっかり色褪せて感じる。

感じたことを数週間後はもちろん、その日のうちでもそのまま思い出すことはできないらしい。すごくいいものを感じられたはずなのにあの時あの時間にほとんどを置いてきてしまった。

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7/29

最近毎日のように泣いているように思う。泣いているというかどうしようもなくて涙が出てくる感じ。泣いているけど泣いていないような、泣いても何も変わらないことが苦しくなる感じ。

学校、バイト、、学校、バイト、レポート、バイト、そんな生活。これが自分が望んだ生活で、変えようともしないから仕方がないのだけど正直とても疲れている。でもきっとこれくらい時間が埋まっていないと、いろんなことを考えてもっとだめになってしまうはずだ。
私は寮に住んでいるからいつもなら夜になったら友達の部屋に行って4、5人でみんなそれぞれのことをしたり、くだらない話をして騒いだり、UNOやジェンガを無駄に真剣にしたり、そんなくだらない時間が私にとっては救いだなあと感じる。テスト前になるとやっぱりそれぞれ勉強を始めるし、レポートを書いたり、集まることが減る、一人の時間が増える。勉強しない私はその時間をどう過ごしていいかわからない。誰もいない時間、なにもしなければならないことがない時間、当たり前の時間をどう過ごしていいかわからない。

眠る前になって誰かと電話することが増えて、メンタルがゆるゆるな今は相手にあたってしまうことも多い。
もう誰かに依存するのはやめよう、そう何回思ったかわからないけれど、出来もしない私が嫌いだ。今日から電話するはやめよう、誰かに頼るのはやめようって思っているけれど、これもどうせ3日坊主だ。

どうしたらいいかな、どうするのが正解かな、私の中のざわざわだけが増していく。難しくしているのは私なのだけど、生きるのって難しい。

6/22

最近よく協調性がないな、とか優しくないな、とか思ったりする。

誰かと一緒に同じ作業をするのが苦手だ。自分のペースで作業したいし、相手のことを気にかけながらというのを意識しないと私はできない。相手はそれを求めているわけではないだろうけど、なんとなく偽善でしかないけれど相手に歩幅を合わせる感じ、少しだけ頑張ったり妥協したりしなければいけないなと思う。だけど思うだけで行動には移せないし、結局優しさだったり協調性が足りないのかなとなってしまう。

いろいろな人との関係の間をうまく気づきあげて、頑張ってやっている人が羨ましい。羨むのは合わせるだけでなくて自分を少しだけ相手に寄せているような人のことで、らしさみたいなのをなかったことにしているのはまた違う。

よくないところはたくさん出てくるし、日々感じているのになにが足りないのか、どうしていけばいいのかわからない。うまく世渡りができる人間でありたかったし、頑張るを当たり前のようにできるような人でありたかった。得意なところを伸ばすよりも、よくないところをよくしていきたい。せめて“まあまあまあ”と許せるぐらいには。


次は少しだけ暖かいことが書きたい。

6/14

心に余裕がない状態。
私にとってはあれしたいな、これをしたらあれをしようって、やりたいことしなければならないことを考えることができる状態。まあこの考え方も明日には変わっているかもしれないし、数時間後にすら変わっているかもしれない。

ただなんとなく今はそんな状態。自分の中の整理で手一杯だなと感じる。時間に余裕ができたら自然と心にも余裕が生まれるはずだ、と思っていたけれどそうではないみたい。

現にこういうふうに2日続けて文章を書いている。私にとってここで文章を書くことは、考えを整理することに繋がっている。
実際に手に取るように整理できるわけではないけれど、なんとなく靄がはれていくような感覚。

具体的にどうすればこの状態を抜け出せるのか少しだけ悩む。これまで何度も経験してきたはずなのに毎回悩んでしまう。今までは焦ってしまっていたけれど、時間がある今だからこそこの繰り返してしまう状態に少しだけ向き合ってみようと思う。
考えることだけじゃなく、ゆっくりゆっくり私に素直に向き合う時間を過ごしたい。

6/13

「話は変わるけど、将来について考えた?」
資格試験が終わって何も考えられてなかった私に、"大人"が聞いてきた。なんであなたが私の将来の話をするのと言う意味の「は?」という答えがでてしまいそうになったけれど、ぐっと抑えていつもどおりの私でへらへらしながらなんとなく答えた。
「迷ってますね〜あれかこれか、」
なんて言葉が返ってきたかもう忘れてしまったけれど、実に薄っぺらい会話をしていた気がする。 

その場を離れて考え直してみた。
何も考えてなかったことに気づいてしまったし、"迷っている"で立ち止まっている自分に気づいた。
将来ってすごく広い意味だけど今回の将来っていうのは大学卒業後とか、卒業までの就活においてのことみたいな近い将来の話。近いのかな遠いのかな。

考えてるつもりで考えられてなくて、答えが出なくても考えられてるよ、って、考えてるつもりで満足してるだけでしょ、って。

とりあえずは余裕のある生活をすること。やりたいって気持ちに敏感になること。素直に行動してみること。

言葉にするのは簡単だけど、行動するってなると少しだけ苦しくなる。頑張れる人になりたかった。