半袖短パンで毛布にくるまる。ふわふわの毛布に触れて、自分の体温を感じてすごく幸せになる。今年の秋は短そう。
空の見上げてにやにやしてしまう感じだったり、日向ぼっこしたくなる太陽の優しい暖かさも、空気が澄んでいて綺麗に見える夕焼けも、全部秋だからこそ。幸せがたくさんな秋。たくさん感じて、身体に染み込ませる。やっぱり私は、秋が好き。

夏がいつのまにか終わっていた。嫌いだったはずの夏を初めて好きになった去年。今年は嫌いも好きもなくて、無関心なまま過ぎてしまった。通りすぎてしまった感じ。少しだけ寂しい。
最近、時間が過ぎるのが早い。気づくと今日が終わってる。もう今日も終わって明日になった。朝がきていい天気だったら、おふとんをほしたいな。夜には太陽の匂いのおふとんで眠るの。

このまま眠れるのなら、明日が来なくてもいいのにね。このまますべてを終えられるなら、眠ったままがいいな。
このまま生かされるのなら、些細なことで幸せを感じられるまま生かしてほしい。そうしたら大きな苦しみも通りすぎることができると思うの。

忘れないこと

私は先生が好きだった。過去形にしていいのかわからないけど、やっと最近、過去形にできるようになった気がする。

中2ぐらいからずっと彼のことが好きだった。国語の先生で、私の1つ上の子供がいた。彼は私が初めて、両親以外で好きだと思えた大人だった。尊敬できる、目標にできる大人だった。そんな大人がいつしか好きな人になっていた。
好きと好きの違いってなんだ、彼に対する思いってなんだ と散々悩んだこともあったし、今でも好きの違いはよくわからない。だけど彼はちゃんと好きだった。尊敬できる大人 という認識に変わった今だからこそわかる。

彼は単純に尊敬し、目標にできる存在になった。好きだった過去を、大切にしたいと思えるようになった。大学決まったよ と早く連絡したい気持ちはあるけど、それはたぶん成長したのを知ってほしかったり、承認欲求みたいなもの。
少し前は諦めようともがいていたのに、いざ気持ちが変わってしまうと少し寂しい。

彼は中学校を卒業する私に -誰よりも深く考えることができる力を今のうちに伸ばせるだせ伸ばしおけ- と言った。それから4年が過ぎようとしている。深く考えられる力は、変な方向に伸びてしまったみたいだ。彼は、彼の言葉たちはたくさんの変化をくれた。それでも彼が求めている人には少しも近づけていないし、まだ近づけそうにない。

よく彼にもらったたくさんの言葉たちを思い返す。何度も私を救ってくれて、変えてくれた言葉たち。その言葉たちは、きっとこれから私をいい方向に変えてくれる、変える原動力になってくれる。
変わってしまうことは少し寂しいことだけど、悪いことばかりじゃないね。

忘れちゃいけない、過去も、過去になってしまう今のことも、今考える未来のことも。

きっと全部うまくいくってさ

オレンジの光が私を包み込む。まるで優しいおばあちゃんに抱き締められているような、全てを認めてもらえてるような、そんな感じ。おばあちゃんに抱き締められた記憶はないけどね。

そんなこんなで、なにもないのに泣いているのが可笑しくて、笑顔を作ってみても目が細くなるだけ涙が溢れる。このよくわからない涙というものは、いつも私をより苦しませる。だけど涙が乾いたあとはなんとなく元気になれる。嫌いだけど好き。これもよくわかない。


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なくしもの

がんばれ も ありがとう も ごめん も普段からきちんと思って言っている人なんてほぼいない。例えば、頑張れと言われて頑張ったところで相手はなにも思わないし、なにも感じなかったりする。言葉というよりも音みたいだ。それなのにその言葉で動かされる。いろんな言葉の形をした音で嬉しくなったり、悲しくなったり、振り回される。

こういう風に考えると意味の意味がわからなくなるね。
若者言葉なんていって、新しくできた言葉だっり変わった言葉をテレビで取り上げられたりする。すると絶対お年寄りなんかが「言葉を大切にしてほしい」なんて言うんだ。今の日本人が大切にしているのはことばの音なのか、意味なのか、それとも言葉なのか。それともそれ以外か。

居場所

インターネットの世界は居心地がいい。好きなものだけを集められて、嫌なものなんてなんでもシャットアウトできる。
小学5年生ぐらいからネットというものを使ってきたし、思い返すと本当にたくさんの場所でいろんな人に関わってきた。たぶんどこでも好きな人とばかり仲良くしていて、仲良くしてくれていて心地よかった気がする。今はTwitterがメインだけど、本当にTwitterなんて好きな人としか仲良くしていないし、心地がよすぎる。

そんな世界と私が今生きている世界。そりゃあ生きづらく感じるに決まっている。でもどんなに苦しくても逃げる場所があるから生きていけていて、私はインターネットというものがなくなったら死んでしまうかもしれないなとも思う。すごく大袈裟だけど1つのきっかけになる、絶対。そんな世界だからこそたくさんの人を大切にしたいね。私の1つの居場所。待っていてくれる場所とそこにいてくれる人を大切にするよ。

この記事を書いていて思い出したのだけど、たぶん中2か中3かのとき何故だか忘れたけどすごく精神的に病んでいた時期があった。そんなときチャットで仲良くしてくれていた人がくれた言葉をプリントしたものが今も大切なものの中にある。もう読んだのは2年前とかそのくらいだけどずっととってある。ばからしいかもしれないけど、すごく大切。きっとこれからそんなものや人や言葉がどんどん増えていくんだと思う。そうなるといいな。これからの私を支えるものがどんどん増えていくの。

なにが言いたいのかよくわからなくなってしまったけれど、私は私が好きな人と好きでいてくれる人はずっと大切にしていきたい。そうしたら相手も私も幸せを感じられるきっかけになる。素敵な感じがする。素敵にしたいな。

眠れない

真っ暗な夜空が光る。少し遅れて何とも言えない音が響く。お昼寝をしすぎて眠れないのが雷が怖くて余計眠れなくなってしまった。

雷が怖くなったのはたぶん中学生とか小学校高学年とかそんなとき。あんまり覚えていないけど夜中に雨と雷がすごく酷い時があった。雷に起こされて怖くて眠れなくてお母さんのお部屋に行った。たぶんそれから。

嫌いなものができたときを覚えてるってなんだか変な感じ。好きも嫌いもいつの間にかだと思ってた。

今はイヤホンをしてplentyを大音量で流してる。雷の音なんて全然聞こえないし江沼くんの声がすごく落ち着く。

明日もバイトなのに早く眠らなきゃいけない。いつになったら眠くなるかな、こうやってるうちは眠れないね。

これはそのうち消そうかな、中身がいんすたみたいだから。

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あした

身体に悪いものが溜まってくると小さなことで泣いてしまう。まるで小さい子どもみたいに。
今日は洗濯物を干し忘れてて泣いた。その前はきゅうりがなくて泣いたし、なにもないところで躓いて泣いたこともあった。

生きるのに向いてないのかな。向いてる人なんていないのかもしれないし、向き不向きすらもないのかもしれないけど。完全に私は向いてないと思うの。
当たり前のものに悪影響をうけすぎて、逃げかたもわからないから傷つくだけ。回復する能力すらも欠けてる。低能

泣いてもなにも変わらないのに、あとどれだけ泣けば気が済むかな。だれかが苦しめずに殺してくれたりしないかなとか、話題の映画みたいに隕石でも落ちてきて死ねないかな、なんて考えてる。

涙の数だけ強くなれるよ って言ってる歌があった。強くなれてるのかな、プラスになってるかな。明日はどんなときでも来るらしいから、明日もまた生かされるよ。生きるよ。