5月病

ゴールデンウィークに地元で撮った写真をやっとパソコンに入れた。見返すとすごく寂しくなった。地元が1番落ち着くし、苦しくならない。GW終わりから見事に5月病なんていうのになったみたいだった。授業をさぼってしまうのも、好きだったサークル室に行かなくなったのも、寝る前に友達と電話する回数が増えたのも、全部5月病のせいにした。いまだに苦しくなったり、すべてが無意味に思えたりするし、どうやったらこの状況から抜け出せるのかわからない。

少し前に好きだった人の誕生日だった。あまり連絡を取り合わない人で、その日もメールを送るか迷っていて、だけど誕生日だけでも話す口実にさせてね、なんて思ってメールを送った。何通かやり取りをして、いつもどうり私の近況を気にしてくれていた。連絡してくれて嬉しかったよ、ときちんと言葉にして伝えてくれた。誕生日を口実に連絡しただけなのに、言葉にして伝えてもらえてすごく嬉しかった。やっぱり素敵な人だな、って少しだけ泣いた。

そんな5月ももう終わろうとしていて、外にいると何もしなくてもじわじわ汗をかく季節になった。大好きな紫陽花が色づき始めていて、憂鬱な梅雨が来てしまうなと感じる。なにもしなくても、立ち止まっていても時間は進んでいることを実感する。来月からお弁当を作ろうかななんて思っている。たぶんできないけど、するよ、たぶん大丈夫。

早起きのこと

もうベッドの中の時間だ。早かったら眠っている時間。少し前まで当たり前に起きていた時間なのにこんなにすぐ変われるものなんだな、と少しだけ感心する。
朝は6:30にアラームがなる。6:45には朝ごはんの時間だから、お昼から学校の日でも同じ時間に起きる。6:30に起きればいいのになぜかその前に目覚めてしまう。少しもったい気持ちになって少しの時間でもまた眠りにつく。
私がもったいないと思う早起きをある人は得だと言った。勝ったと嬉しく思うようにしてるらしい。もったいない思考しかなかったのにすごくいいなと思った。睡眠時間は十分でなにももったいなくないし、むしろ使える時間が増えていいことなのだ。
この彼はいつも私にポジティブな考え方を教えてくれる。彼自身はどちらかというとネガティブなほうなのに、私がネガティブなことを言うといつもプラスに変えてくれる。素敵な捉え方を教えてくれる。そのたび素敵な人だなと思う。
これ書いていて素敵だと思う人はそれなりにいるけれど、ポジティブな捉え方だったり、プラス思考さを素敵だなと思える人は少ないことに気づいた。
彼から教えてもらったプラス思考はまだ身についていないけど、そのうち少しずつ身につくものなのだろうか。捉え方だけでも素敵だなって思ってもらえる人になれるといいな。

マニキュアが乾いたからそろそろ眠ります。
明日は早く起きても得した、と考えます。たぶん。

新生活

新生活が始まってもう2週間が経とうとしていて、始まったばかりだったはずの春が過ぎ去ろうとしている。時間の流れが速すぎて立ち止まりたくなる。逆らいたくなる。

入学とともにずっと暮らしてきた家を離れた。不安でたまらなかったはずなのに、いざ離れると案外平気で自分でも驚いた。田舎だった地元ととあまり変わらないはずの新しい土地だけど、やっぱり地元が好きだなと感じる。この土地を知れば知るほど帰りたくなってしまう。
大学生活は思っていたよりもいい意味で単純だった。自由だと思っていたけれど単純という言葉がしっくりくる。一緒に過ごす人ができたり、顔を合わせるたびに声を掛け合う人ができた。名前を覚えられないのはどうにかしたいかな。1人の時間もきちんと作ることができるから、少しでけ疲れる他人との時間も楽しく過ごせる。

入学式だったりオリエンテーションでたくさんの大人の話を聞いて、どういう風にしたいかが少しだけ見えたようなつもりでいる。この感覚が久しぶりですごくいい方向に進めてるのかなと思う。
これからしばらく続くこの生活の中で自分の事をもっと、もっと知りたい。好きなものを好きな理由を言えるように、考えていることと出てくる言葉がぴったりと一致するように、やりたいことをできるように。立ち止まりたいが早く先に進みたい、未来を見たいに変わるように。

寝ようとしてから眠るまでの時間にいろんなことを考えて眠れなくなる。
私はすごくすごく恵まれた環境にいて、今はマイナスしかない出来事もおこらない。なのになんでこんなに苦しいふりをしてるのか、苦しくならないといけないのかわからない。生きるのが下手とかそういう問題だったり、そもそも私自身がそういう人なんだと思う。こんなにも恵まれていて、それなりにいろんなことができる私を苦しませるのはやめようよ。苦しいふりをするのもやめたい。ふりで1になった苦しいはふりだとしても増えていく一方だ。本当にだめ。眠ろうね。

明日も

最近春休みになった友達とよく遊ぶ。私の周りは地元を離れてる人が多くて、帰っている期間中という期限がつくと、会おうねが会いたいに変わる。本当に気を使わない人ばかりで一緒にいるときは、いつだって笑顔ばかりだ。楽しくて安心できる。

私の周りの学生はだいたい夢だったり目標があってなにもない私が少しだけ虚しく感じたりする。同い年の人とは学年的に1つ違っているのだけど、学年だけじゃなくその他でもおいて行かれているなとも感じる。カウンセラーをやっている人に「夢や目標がなくても今を生きてればそれでいいし、他の人が持っていても、求められても気にしなきゃいいよ」と言われた。気にしても意味がないのはわかっているから、気にしたくはない。だけど小さな頃から大きくなったらなにになりたいですか、将来の夢はなんですか、目標をたてましょう、なんて言われて先のことばかり考えさせられて育ててもらったら気にしないなんてできないよ。どうしたらいいんだろうね。

誰かと一緒にいるときが楽しければ楽しいほど、1人になったときの寂しさが増す。まずは未来なんかよりも今のこの寂しさから逃れたい。明日がくるのは嫌だけど、明日になればまた友達と笑い合えると思うと早くなってくれと思う。
私に楽しさをくれる周りの人を大切にしたい。昨日も今日も楽しかったように明日ももっと楽しくなるといいな。

無限ループ

特急列車がくるのにホームから落ちたいなとか、ホテルの火事に巻き込まれてしまいたいなとか、VXガス体験してみたいなとか、不謹慎なことばかり考えてしまうときがある。事故で誰かが亡くなってしまうニュース見て心が痛む経験はしたことないのに、こんな風に考えることはよくある私はそういう人なんだと思う。自分でどうにかできるくらいの勇気がほしかった。他人と比べてしまえば、なにもない時間を過ごしているのにどうしてこうも逃げたく思わなくちゃいけないの。1度そう考え出すと簡単には抜け出せなくなる。考えはどうにかしようには向かずに、どうにもならないの方向にしか進まない。とことんどうしようもないね。どうにかしたくないだけかもね。眠れるまで抜け出せないループを繰り返す。

仲良くしている人が煙草を辞めた。だからなんだという話なのだけど、辞めた理由が彼女のためでそんなもんだったんだなと思った。大切な人のためなら大好きな煙草辞めちゃうんだなって、それしか考えられなかったんだなって、彼女は辞められなかったみたいだけどね。好きなものは好きなものと交換できる人だったのだと思った。ただのやきもちかもしれないけど、私の好きを増やす理由が一つ消えた。
昔から好きな人の好きなものを好きになりたくなる。憧れてしまう。音楽も写真も映画も小説もなんとなく影響受けてるなと感じる。好きな人の好きなものが私の好きなものになる。ただその人がそれをやめてしまったとき、好きでなくなったとき、好きな理由がなくなる。好きな理由がなくなるって寂しい。自分の意志っていうのもはないのかな。もうよくわからないね。誰にも譲りたくないものが欲しい。好きな人のためでも、大切な人のためでもなににも譲れないものを持っている人が欲しい。