思っていることを整理したくて言葉にしてみるのだけど、完成した文章はいつもいつも自分を正当化しようと必死な文章になっている。自分と誰かへの言い訳ばかりの文章になる。
誰かに認めてもらえればそれでよかったはずなのに、次は求められたくなってしまった。君はもっとできる人だよ、と期待されたくなった。私の普通を他人の普通以下にしたのは私自身なのだけど、意味の分からない人並み以上を求めてしまうプライドが普通以下を嫌ってしまう。

ちゃんと生きたい自分より楽したい自分の方が大きくて、いつになっても勝てそうにない。変わりたい自分より変わらず楽したい自分の方が大きくて、いつになっても勝てない。楽したい自分を周りに承認させてしまったから、それが一番よく思えてしまう。
自分の価値観をもってて周りに左右されなかった私はいつの間にいなくなってしまったのだろう。周りからの評価ばかりを気にして、ふらふらしてしまう私はいついなくなるのだろう。

自分にルールを課してそれだけはきちんとしてみようと思うのに、それすらできなくて失敗が重なっていく。そうなるとマイナスがたまって、プラスのない自分が見えて苦しくなる。どうしたらいいのかわからない。どうしてこんなに頑張れないのだろう。
自分で認めてあげられるぐらいちゃんと生きたいだけなのに。自分がなりたい自分にも、周りが求めている人にもなれない。

前向き

誕生日を迎えてまた1つ歳をとった。迎える予定のなかった19歳になった。それでも日常も私自身も何も変わらない。18歳が終わることのなにを恐れていたんだろう。当日にはたくさんのおめでとうをもらって、まわりに支えられていることを実感した。生きていられてよかった。

「誕生日は産んでくれて育ててくれてありがとうを伝える日だよ」と私がまだ小さいときに母が言っていた。祝われるばかりの日だったのに、いつのまにかきちんと両親に感謝できるようになった。まだ私は両親に心配ばかりかけてしまうし、私の考えで傷つけてしまうこともある。それでもいつだって愛してくれる両親に少しずつ愛を返していけたらいいな。

少しずつ自分を好きになれていて、認めてあげられるようになった。まだ自分自身がわからなくて困ってしまうけれど、少しずつ向き合っていきたい。

今は少し気分が落ちているけれど、なぜか前向きに考えられる。元気になったら、最近触れていないカメラでたくさんの写真を撮りたいし、本もたくさん読みたい。大切な人に進学の報告もできたらいいな。

きらきら

年賀状が届くのが好きだ。自分にくるものはすごく少ないけれど、おうちに届くものはなぜか早く見たいと思う。郵便屋さんのバイクの音だったり、郵便受けを閉める音を聞くとわくわくする。お正月の楽しみの1つ。

 

年があける瞬間は、友達と神社でカウントダウンをした。行く前は少し面倒だったけどやっぱり言ってよかったと思った。去年も来たよね、なんて話をするのがすごく心地よくて1年の早さを感じた。また来年もこんな風に話すんだ、とまだ1年も先の事を楽しみにも思った。神社で参拝をしておみくじをひくと末吉だった。全体的に実は凶なんじゃないかと思うくらいいいことは書いてなかった。だけど学問が 安心して勉学せよ だったのでそれだけで満足した。

 

明日からしばらくバイトが続くので切り替えてきちんと生活しようと思う。今年の目標もなんとなく決めたので書初めもするよ。あと学校のエッセイコンテストに参加しなければいけなくなったから、そこも少しずつ考えられるといいな。年が明けても日常は日常のはずなのに、なににおいても新年だからと理由をつけたくなる。あけましておめでとうはおめでたくないなんて思ってしまうのにね。

12月30日

今年の目標は現状維持だったみたい。高校もバイトも写真も辞めずに続けること。それから唯一変えたいとあったのは、優しさをもつこと。
目標を立てていたことすら忘れていたし、達成できる目標しか立てていないように思うけれど、達成できている。
優しさっていうのは少しだけ難しいけれど、感謝できるようになったことも、気配りするようになったのも優しさを持てたおかげだと思う。

大きな選択から小さな選択までたくさんの選択をしながら過ごしてきて、まだ正解だったかわからないものだってある。だけどわからないことでも自分で決めることが大切だって誰かが言っていた気がするから、きっとこれでいい。

来年はきっと変化の年になるから、それまでその変化に耐えられるように自分を作らなきゃいけない。18で死ぬなんて言っていても生きるつもりなのだから、生きなければいけないのだから。

時間に比例してないかもしれないけど成長した1年だった。
自分に向き合った。未来を考えた。他人のために動いて、考えて、泣くこともできた。バイトで大変な仕事を任された、やり遂げた。たくさん笑って、笑わせた。幸せの一部になれた。頑張った。頑張れた。去年の私より私のことを好きになれた。他の人はどう思っているかなんて関係ないよ。


来年も優しさをもって生きていけたらいいな。泣くことがあっても消えたくなっても、優しさをもつ。そうすればきっと来年も大丈夫。2018も迎えられる。

嫌いだった目標を考えるよ。

こんな時間に考えるつまらないこと。

とんでもない偽善者なのかもしれない。
みんなそうだよ、という感じだけどだからといってそれがいいというわけではないんだと思う。

限度というのもがよくわからなくなる。良い人振るのも、頼るのも、誰かのことを想うのも、もちろんその他たくさんのことも、ある程度というそれぞれの限度というものがあるんだろう。だけどそんなところが最近の私はよくわからない。
極端に良くしたり悪くなってみたり後になって限度を超えてしまっていたと気付かされる。そしてひとりで考え混んでしまう。悪循環。
きっと今だけだろうけど、この今だけを仲良くしてくれている人はどれだけ嫌うだろうか。そんな風にまた自分のために他人を思う。客観的に見るとすごく気持ち悪い。とても嫌な部分が溢れ出ている感じ。

また答えも出ないどうでもいいようなことを考えてしまう。つまらない。まとまらない。だけどたぶん今だけ、自分の中だけだから許してね。
薄っぺらい言葉ばかりの私と薄っぺらい考えの自分。ぺらぺら。

満ち足りない

書きたいことをまとめられないうちに、書きたかったことさえも忘れて今日になった。勝手に考えも時間も変わって進んでいく。

今日は霰が降った。寒さと共に冬を実感していたけれど、私が思っているより季節は先を行っているみたい。既に寒すぎるから引きこもりたいし、できることなら冬眠したい。
もうすぐ18歳が終わってしまう。18で死ぬという勝手な予想が本当に当たってしまうかもしれない。その確率はきっと低いけど。それでもなぜか本当にしまう気がして怖くなる。死に恐怖を感じるのが久しぶりで、自分の予想に恐怖を感じるのは初めてで、よくわからなくなる。死んでも後悔はない。いまなら、きっと。


電気はつけずヒーターの前で丸くなる。ヒーターの明かりと月の光。暖かくて優しい光がとても心地良い。
自然と涙が溢れる夜。誰も隣にいない夜。
愛おしいが溢れて淋しいに変わる。
目閉じて自分の手を握ってみるのだけど余計に淋しくなってしまった。本当に握りたいのはもっと大きくて温かい手で、優しく包み込んでくれるようなそんな手。こんな苦しさはきっと今だけで、続けば続くほど当たり前になる。平気じゃない当たり前は嫌だな、やめたいな。

苦しくて、なんにも上手くいかない気がする。全部が悪い方向に進んでいるようなそんな感じ。たぶん私の捉え方がそうなっているだけなのだけど。

卒業文集での先生の言葉をたまたま見つけた。「私は結局、願い、祈ることと励ますことしかできません。強く生きなさい。」なんだかすとん、と音を立てるように心が落ち着いた。好きとか嫌いとか、正解とか不正解とか、私が答えをだそうとしていることの無意味さを実感した。また先生に救われてしまった。

幸せでも楽しくても、苦しくて辛くても、結局生かされるし、死ぬなんてことは私にはできない。まあそれなら少しだけ楽してもいいかもしれない。幸せは求めなくても、苦しければ逃げたらいいし休むのもあり。答えなんて出さなくても生かされる。言うのはすごく簡単だから、いつかそんな風に少しでも楽に簡単に、生かされるんじゃなく生きていけるようになれたらいいな。